ヨーロッパでは、クラブスポーツやクラブチームが参加して構成する「ピラミッド型の国内リーグ」が主体となっている。日本から見ると非常にわかりやすい。例えばドイツの男子プロリーグ「TTBL」を頂点とするピラミッド型のリーグでは、アマチュアの地域リーグが15部くらいまであると言われており、地域に網の目のようにリーグシステムが張り巡らされている。
ところがアジアでは事情が異なる。日本を例にして見てみよう。
1. 日本における「学校スポーツ」の歴史と発展
日本では、学校での体育(いわゆる学校体育)の歴史が150年以上前にさかのぼると言われている。もともとは子どもたちの体を鍛錬する時間として定められ、のちに第二次世界大戦の戦時下では軍事訓練としての性格も強まった。当時は教科も「体錬科(体を鍛える教科)」と呼ばれ、日本独自の集団行動で一体感を養うことが目的とされていた。
戦後、軍国主義的な要素は排除され、「体育」と名前が変わった。体を鍛える時間から、スポーツを楽しみ健康な体を主体的に作る時間へと変化したのである。今でも小学校・中学校・高校などにある「運動会」は、学校や地域、家族を巻き込む競技会としてその名残をとどめている。
つまり、ヨーロッパのように「年齢に関係なく地域の人々が楽しみや娯楽としてクラブに集い、チームを作ってリーグ戦に出場する」というスポーツの土壌は、戦後すぐの日本にはなかった。日本では「子どもたちが主体の学校スポーツ」が中心であり、卓球も学校対抗で勝敗を競う大会しかなかった。
1950年代に日本の卓球は黄金期を迎えるが、当時の日本代表のほとんどは大学生だった。初めての世界チャンピオンになった佐藤博治は会社勤めだったが、その後の荻村伊智朗、田中利明、江口冨士枝、松崎キミ代といった選手たちは、いずれも大学生の時にチャンピオンになっている。中学生くらいで卓球を始め、高校で練習を重ね、さらに大学生になると世界を目指して自らに激しい訓練を課して飛び出していく――それが当時の日本代表の姿だった。
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