Vol.1
少年時代に「天才少年」として脚光を浴びた村松雄斗。 ユースオリンピックでの銀メダル獲得や世界ジュニア選手権での準優勝など、一見すると順風満帆なキャリアを歩んでいるようにも見えた。しかし高校時代に右肘を痛め、実業団チームへ進んで以降は思うような成果が出せない苦しい時期が続いた。
その後、卓球最高峰のドイツ・ブンデスリーガでは「ミスター・ツーポイント(単複で2勝を挙げる男)」と呼ばれる目覚ましい活躍を披露。今シーズン(2026〜27年)からはTリーグの「静岡ジェード」へ移籍し、10月4日時点で開幕5戦全勝と圧巻の存在感を放っている。
プロ選手として真摯に卓球と向き合い、自らの将来を見つめる村松雄斗のロングインタビュー。
村松雄斗●むらまつ・ゆうと
1996年10月14日生まれ、山梨県出身。全日本選手権ではU8・U10・U12で優勝。ユース五輪では銀メダルを獲得。2023年から4シーズン、ドイツのブンデスリーガ1部リーグの「マインツ」「ザールブリュッケン」でプレーした。2026~27年のシーズンはTリーグの静岡ジェード、ポーランドリーグなどでプレー
*写真はいとこの平野美宇とのツーショット
小学2年生の時に身長が高かったので、単純にそれがカットマンになった理由です
無口な少年だった。
村松雄斗は山梨県中央市で生まれた。歩いて5分のところに従兄弟(いとこ)の平野美宇の実家がある。カットマンとして全日本ホープス・カブ・バンビ(ホカバ)の3種目を制し、当時から「天才少年」と呼ばれていた。「ミスターカットマン」と称された大阪の高島規郎(1975年世界3位)のもとへ、小学生の村松は週末になると一人で通っていた。
その当時、高島に尋ねると「雄斗に教えることはない。ただ背が伸びて大きくなればいい」と村松を評価していた。口数が少なく、大学の数学教授だった祖父(平野光昭・ひらのてるあき)の遺伝子なのか、幼い頃は数学が好きだった「天才チョッパー」は、日本の期待の星だった。
◇
●ーそもそも卓球を始めたのは?
村松雄斗(以下Yuto) 小学1年生の時です。おじいちゃんが大学の教授で、趣味程度ですが卓球の経験があって、卓球が好きで「平野卓球センター」を作ったんです。僕は平野家(いとこの平野美宇の家)で練習をしていました。僕の家から歩いて5分くらいだったので、毎日通っていました。
おじいちゃんは美宇のお父さんや僕のお母さんに卓球を教えていたんです。僕のお母さんもカットマンです。美宇のお父さんはペンホルダー攻撃型で、筑波大学卓球部の主将でしたよね。それに僕の姉も卓球をやっていました。姉が先に卓球を始めて、僕もその影響で始めた形です。姉は中学3年まで卓球をやって引退しました。妹もいますが、一度卓球をやめて、今は医大生です。
●ー村松くんは最初からカットマンですか?
Yuto 最初の1年はシェークの攻撃マンです。それで全日本ホカバのバンビにシェーク両面裏ソフトの攻撃スタイルで出ています。
シェア