O-KOKU
卓球王国

The worlds leading table tennis magazine, since 1997

O-KOKU
【セカンドキャリア】中野祐介「自分にとって卓球は人生の原点です。人生に必要なことを、ぼくは卓球から学んだ」 

【セカンドキャリア】中野祐介「自分にとって卓球は人生の原点です。人生に必要なことを、ぼくは卓球から学んだ」 

卓球王国2026年12月号掲載 vol.34

中野祐介

[全日本社会人チャンピオン/広島県福山市役所]

シチズン時計時代に全日本社会人選手権で優勝しながらも、その1年半後に地方公務員へ転身した中野祐介。公務員としての仕事を続けながら、市や県の卓球協会で理事などを務め、今も卓球との関わりを持ち続けている。

Text by 今野昇 Noboru Konno

上宮高2年でインターハイのシングルス、全日本ジュニアで優勝した森本洋治

[なかの・ゆうすけ]
1984年2月12日生まれ、広島県広島市出身。可部町卓球スポーツ少年団で卓球を始め、東山高校を経て早稲田大学へ進学。関東学生選手権2連覇、全日本学生ダブルス2連覇などの実績を残す。シチズン時計入社3年目の2008年に全日本社会人選手権で優勝。4年間在職したのち退職し、福山市役所に入庁。現在は広島県卓球協会の理事・強化本部長および福山市卓球協会の理事を務める

ぼくの卓球の原点は、東山高の今井良春先生に教えていただいたこと

  広島・可部町卓球スポーツ少年団で卓球を始め、全日本カデットのダブルスで優勝した中野祐介。その後、京都の東山高校へ進学し、全日本ジュニアで2位。早稲田大学に進んでからは関東学生新人戦での優勝をはじめ、関東学生選手権2連覇、全日本学生ダブルス2連覇、シングルスでも2年連続3位という成績を収め、シチズン時計に入社した。日本リーグなどで活躍し、3年目には全日本社会人選手権で優勝を達成したが、その1年半後に広島県の福山市役所に入庁した。 

◇◇

ぼくの卓球の原点は、東山高の時に今井良春先生に教えていただいたことです。「心・技・体・和・知」を重んじ、文武両道を基本に日本一を目標に日々練習していました。今井先生からは、卓球の技術だけではなく、人生において大切なことを数多く教えていただきました。

 特に印象に残っているのが、「仲良し集団ではダメだ」という言葉です。

 チームワークが良いというのは、ただ楽しく仲良くすることではない。同じ目標に向かい、厳しい練習を共有し、互いに切磋琢磨することが本当のチームワークだと教えていただきました。また、東山では、選手自身が自分たちで考え、工夫し、行動することを大切にしていました。その経験は、その後のぼくの卓球人生に大きな影響を与えてくれたと思います。

 荻村伊智朗さんの話や、卓球の歴史についても今井先生から聞かせていただきました。技術だけではなく、卓球という競技そのものを深く知ることができたことも、大きかったですね。

 早稲田大学に入学してからも、自主性を重んじる雰囲気があり、それが自分には合っていたと思います。入学時は先日亡くなられた松生瞬さんが先輩におられました。なかなか結果が出ず、苦しい時期もありました。プライベートでもいろいろと大変なことがあり、卓球に集中できない時期もありました。そんな中で、もう一度立ち直って頑張ることができたのは、本当にまわりの方々に支えていただいたからだと思います。

 早稲田大学の河原智監督をはじめ、鍵本肇さん、伊藤誠さんなどOBの方々や、ニッタクの北岡功社長(故人)や冨澤渉さん、市原知郷さんにもいろいろとサポートしていただき、「もう一度頑張ろう」と思うことができました。

 そして、同級生の岸川一星君(クニヒロ卓球)、現在、早稲田大学女子卓球部の監督をしている岩村健司君、後輩の下山隆敬(協和キリン)、久保田隆三(シチズン)、時吉佑一(La・VIES)、塩野真人(EA男子監督)がまわりにいたことも心強いことでした。でも、ぼくにとっては、レギュラーではない選手たちがいつも練習をサポートしてくれたことも、本当に大きかった。

 また、荻村一晃さんのご紹介で、ガシアン(フランス)やパーソン(スウェーデン)が来日した際に一緒に練習させていただいたり、ドイツやスウェーデンへ遠征し、現地の練習や試合を体感できたことも大きな刺激になりました。そして、インカレ優勝や関東学生リーグ優勝、全日本学生選手権ダブルス2連覇やシングルス2年連続3位というを成績を残すことができました。

全日本社会人選手権で優勝し、チームメイト、関係者、応援団と記念撮影をする中野

全日本社会人選手権で優勝した時の中野

現役を離れ、仕事を通じて、「支える側」の大変さや大切さをより強く感じる

 当時は卒業後に実業団に入るのは当然の流れで、東山高校の先輩である山本恒安さんに声をかけていただき、シチズン時計に入社しました。ただ、入社した1年目は、仕事と卓球の両立に慣れることができず、全日本選手権の予選も通過することができませんでした。渡邉将人監督や谷口祐二さん、河原祐二さん、並木佑介さん、そして当時シチズンに練習に来ていただいていた東山の先輩である石田大輔さんからも、たくさん指導を受けました。

 後輩の田中満雄や久保田隆三とは、練習が終わった後も毎日のようにミーティング。いつもぼくの横には彼らがいて、本当に楽しい時間を過ごさせてもらいました。

 そうした仲間たちに支えられながら練習を続けた結果、3年目には全日本社会人で優勝することができました。日本リーグの試合には、会社のみなさんが忙しい中、わざわざ会場まで足を運んで応援してくださる。その姿を見ると、「会社のため、応援してくれるみなさんのために頑張ろう」と強く思いました。

 その後、選手としての現実に直面し、故郷の広島のほうが、自分の力を発揮できるし、必要としてもらえるんじゃないかと思い、シチズンを退社。広島県福山市役所に入りました。児童部庶務課、産業振興課などを経て、23年のG7広島サミットの開催に向けて、「広島サミット県民会議事務局」にも1年間在籍しました。現在は観光戦略課に所属しています。

 これまでいろいろな部署を経験しましたが、一番印象に残っているのは、やはりG7広島サミットです。国の大きな行事を、民間の方々や県、市町の職員と一緒になって成功させていく。その仕事をやり遂げたことに達成感を持ちました。毎日忙しく、大変なこともありましたが、それ以上に楽しく、やりがいがありました。そして、そこで改めて感じたのが、「裏方の仕事の大切さ」です。

 現役時代は、とにかく試合に勝つことを優先していました。でも、選手が試合をできるのは、審判の方、協会の方、運営に携わる方、会場を準備してくださる方のおかげです。現役時代には当たり前だと思っていたことが、実は多くの人の支えや努力によって成り立っていた。現役を離れ、仕事を通じて、そうした「支える側」の大変さや大切さをより強く感じるようになりました。

 広島に帰って国体の監督を務めたり、福山市卓球協会や広島県卓球協会の理事、強化委員長として微力ながら卓球界に携わってきましたが、そうした経験を重ねる中で、「自分ももっと卓球界に関わっていかなければいけない」と思うようになりました。

 今も協会の仕事として、子どもたちの強化活動にも取り組んでいます。「広島で卓球を始めて良かった」。子どもたちに、そう思ってもらえるような環境を作りたい。自分自身が卓球からたくさんのことを学び、たくさんの人に支えてもらったからこそ、今度は自分が次の世代に返していきたいと思っています。

 ただ、最近、少しずつ自分の中で変化もあります。「もう一度、現場に戻ってみたい」。そんな気持ちが、少しずつ芽生えてきているのも事実です。裏方の大切さも、協会を運営する難しさも、選手を支える人たちの苦労も、以前よりずっとわかるようになりました。だからこそ、もし自分がもう一度、卓球の現場に立つことがあるとすれば、現役時代とは違った形で戻れるんじゃないかと思っています。

 自分にとって卓球は人生の原点です。些細なことではくじけない心と体。人とのつながりや、努力すること、自分で考えて行動することなど、人生に必要なことを、ぼくは卓球から学んでいます。

早稲田大学時代の中野

シェア