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卓球マニア濃縮エキス[卓球天国の扉]〈その28〉オールフォアの迷宮

卓球マニア濃縮エキス[卓球天国の扉]〈その28〉オールフォアの迷宮

卓球王国ブックス「卓球天国の扉」より 〈その28〉

卓球コラムニスト・伊藤条太氏による爆笑卓球コラム本『ようこそ卓球地獄へ』の続編である『卓球天国の扉』(2015年発刊)。あなたはこの一冊で「天国の扉」を開けることになる。 ☆卓球マニア濃縮エキス☆  

Text & Illustration by 伊藤条太Jota Ito

第三章 卓球の常識を疑え!

オールフォアの迷宮

 1960年代に中国に敗れて以来、日本の攻撃選手はフォアハンドに偏りすぎていると言われ続けてきた。どうにかそれが言われなくなってきたのは、ほんのここ数年のことである。スウェーデンのジャーナリスト、イエンス・フェリッカと元ナショナルチーム監督のグレン・オーストは、その共著書『スウェーデン卓球 最強の秘密』(ヤマト卓球 1991年刊/絶版)で、日本のオールフォア卓球について「卓球の流れや相手の力量を低く見積もっている表れである」と書いている。ちょっと堅い表現になっているが、くだけた言い方をすれば、これは「お前ら、卓球ナメてるだろ」ということだ。それほど日本のオールフォアへの固執は異常なものだったのだ。いったい何がその原因なのだろうか。

 その第一は、日本人の求道的な価値観にある。「石の上にも3年」とか「2兎を追うものは一兎も得ず」といった諺にもあるように、日本人はひとつのことに打ち込むことを良しと感じる傾向がある。私が卓球を始めた1970年代後半でも「フォアもできないうちからバックを振るなんて生意気だ」とか「カットマンのくせに攻撃するな」などと言われたものだったし私もそれに納得していた。要するに我々は、フォアであれカットであれ、とにかくひとつのことを極めることに気持ちよさを感じる民族なのである。

 日本の卓球の歴史をさらに遡れば、さらに興味深いことがわかる。卓球は明治35年に日本に輸入されたが、競技用の打法として最初に定着したのはショートだったという。大正末期にはこれを打ち破るためのロングが確立され、さらに昭和10年頃にはこれに対抗するカットが全盛となった。その後、これらを併用するオールラウンドが登場したという(今孝『卓球 その本質と方法』旺文社 昭和17年刊/絶版)。オールラウンドというと、朱世爀のようにカットも攻撃もするスタイルを思い浮かべるかもしれないが、少々意味が違う。攻撃選手がツッツキやショートをするだけでオールラウンドなのだ。それ以前はなんと、ショートならショート、ロングならロングだけを使って試合をやり通すことが理想とされていたのだ(木ベラのためそれが可能だった)。当時の選手の試合として、3メートルもの高さのロビングと、それをネット際に2バウンドで止めるショートの応酬という、冗談かと思うような「名勝負」の話が残っているほどだ(季刊『卓球人』第3号 2000年刊)。これほどまでに日本人の求道主義は根深いのであり、これが日本人をオールフォアに固執させたのだ。

 第2の原因は、バックハンドを強化しようにも、その練習方法がわからなかったことだ。日本では1980年代まで、規則的なコースの練習が主流だったため、バックハンドの練習といえば、バックハンドを連続して打つか、せいぜいフォアと交互に打つもので、いずれも次にバックを打つとわかっている状況での練習であった。そのため、瞬間的な判断を含む切り替え能力が身につかず、実戦ではよほど余裕のある場合にしか使えない状態であった。この背景には「ランダムコースでその場しのぎのごまかし打法を身につけるより、まずは規則的コースで完璧なバックハンドを」という考えがあるのであり、根は第一の原因と同じく求道的な価値観にあるのだ。

 結局、何事もひとつの道を深く極めようとする日本人の民族性が、日本選手を「オールフォアの迷宮」へといざない、そこから出ることを許さなかったのだ。その点では、最高度の多様性と複雑さを持つ「卓球」は、日本人に最も合わないスポーツなのかもしれない。 

 ではどうしたらよいのか。簡単だ。求道的とは対極にある「最近の若者」の特性を利用するのだ。彼らが本来持っている、決心しても飽きたらすぐに止める柔軟性、すべてが中途半端な状態に堪える精神力、ちょっとしたことでキレる瞬発力といった素養を最大限に伸ばしてやればよいのだ。そんな奴らと卓球をするのは地獄の苦しみだと思うが、それに耐える精神力が日本の指導者には求められているのだ(やっぱりギャグになってしまった)。

●書籍「卓球天国の扉」(2015年発刊)からの掲載です

■Profile いとう・じょうた

1964年岩手県生まれ。中学1年からペン表ソフトで卓球を始め、高校時代に男子シングルスで県ベスト8。大学時代、村上力氏に影響を受け裏ソフト+アンチのペン異質反転ロビング型に転向しさんざんな目に遭う。家電メーカーに就職後、ワルドナーにあこがれシェークに転向するが、5年かけてもドライブができず断念し両面表ソフトとなる。このころから情熱が余りはじめ卓球本を収集したり卓球協会や卓球雑誌に手紙を送りつけたりするようになる。卓球本収集がきっかけで2004年から月刊誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。世界選手権の[裏]現地リポート、DVD『ザ・ファイナル』の監督なども担当。中学生の指導をする都合から再びシェーク裏裏となり少しずつドライブができるようになる。2017年末に家電メーカーを退職し卓球普及活動にいそしむ。著書に『ようこそ卓球地獄へ』『卓球天国の扉』がある。仙台市在住。

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